愚かな私の卒業記(2)~無意識の性は点へ落ちる~

休学をしよう!

 

そう考え付いたのは2月の中頃だった。

前回は私の計画性のなさを振り返り、自分を戒めるといった内容であったにも関わらず、私はその記事を書いている時点で既に目的のない休学を望んでいた。ほんとにバカなのかな。間違いなくバカだわ。

反省に次ぐ反省をしている最中に、また新たな反省の種を植えていたことになる。その種は3月の下旬に無事花を咲かせたそう。開花が今までより早いことが失敗を学んでいるとも取れるよネ♪

 

なぜ休学をしようと思ったか、その理由は例のごとく自由への逃避である。逃げるのは悪くないが、計画性のない逃げはまた同じことを繰り返しかねない。頭ではわかっているはずなんだけどなあ。

どうやら私という人間は、無意識に楽で自由に見えるところに流れていく性質らしい。そして同じことを繰り返し、反省する。いやきっとこれは人間の性である。そう信じて少しでも救われた気持ちになりたい。。。

そんな救いようのないことを考えていたら、私の高校来の悪友であるK君も就活をしないということもあり、なんとなく味方がついたような気待ちになり、ますます私の休学に対する肯定感に拍車がかかった。

 

昔から気が小さい為か、私は誰かに肯定されたり、味方ができたと判断すると、極端に気が大きくなるところがあるのだ。この時もそのような気持ちになり、正常な思考をできなくなっていた。そして何を思ったか、「これなら親に休学をしたいとの旨を伝えたとしても上手くいくはずだ」と論理をすっ飛ばして感情のみで親に休学をするに至った事の顛末を話してしまった。

 

結果から言うと、ものすごく説教された。休学をするという目標だけにとらわれて、思考を完全に停止していた私にとって、この説教には突然ぶん殴られたような衝撃と威力があった。そして新しい技術を拒絶する古い人間の気持ちも同時に分かったような気がする。

説教の内容を要約すると、どうやら「休学してまでやりたいことがわからない」ということだった。この的確な指摘は、私の凍りついた脳みそを溶かす重要な役目を果たしてくれた。

 

立ち返って私が休学をする理由は何だろうと考えると、出てくるのは卒論と就職からの逃げ、そして趣味の時間を取りたいというなんとも後ろ向きで曖昧な理由しかなかった。しかしこれが事実であり、この理由で私は休学をするに至ったのだ。たしかにこの理由で休学というのは何かもやっとするものがあった。しかし、このモヤモヤの正体が私には終ぞ解決できないまま、ひと月経ってしまった。

 

そして3月になり、私の兄が実家に帰ってきた。私に就活の状況はどうだと聞くので、私は正直に今までのことを話した。するとここでもまた、私は兄の発言にぶん殴られた。

兄の発言を要約すると「将来やりたいことのために今何をしたらいいか選択する」というものだった。

 

将来やりたい事のために休学という選択は本当に正しいのか、休学という選択の先に私の将来は確立されるのか、という問題に突き当たった。そもそも私は将来何をしたいのか。そこから考える必要がある。ここで考えるべきは大まかな将来像ではなく、具体的な近しい将来についてである。

兄の巧みな質問による誘導によって、私の将来したいことは分かってきた。それは、親元から離れて自立すること、趣味である音楽をすること、このたった2つだけだった。兄の助言、もとい神のお告げによると、ここから後ろ向き帰納法のように逆算すると自ずと今やるべきことは見えてくるそうだ。さすが我が唯一神

 

こう考えると、私が休学をしたい根本的な理由も見えてきた。私は、趣味の音楽をするにあたって、卒論と就活はかなり邪魔になると思ったので排除したいと思い、さらに親の干渉を受けたくない、ひいては早く大学という縛りから解放されたい、そう思い休学をしようと思ったのだ。

 

しかし、これらの問題はもう少し先のことまで目を向けると簡単に解決できるのだ。我が唯一神からの天啓によると、この休学問題のカンフル剤はまさかの一年後に就職をすることだった。まず就職をすることで、親元から離れることは簡単にできるだろう。流石に趣味に費やす時間は学生の時より減ってしまうが、それでも趣味の妨げになるものは除去でき、さらには安定した収入を得られるのだ。

実際、休学をして一番の問題となるのはやはりお金だろう。休学にかかる費用だけでなく、生活費や一人暮らしをするなら家賃も全てアルバイトで賄わなければならない。そう考えると休学をせずに就職を選べばかなりのお金が浮くだろう。

 

つまり1年間我慢して卒論と就活をしてしまえば、その先はある程度の自由は確保でき、これらの問題は解消されるということだ。そもそも、卒論と就活をしたくない理由は、めんどくさいというのはあるが、その本質的な理由は趣味の時間が取れないからであった。そう考えるとたった1年でそれらが解消されるならかなりコスパがいいと思える。

なるほど、ずっと感じていたモヤモヤは休学のいう選択が最適解ではなかったからか。

 

 

手前の問題に囚われ、全体像を見失い、先のことに対しての思考を怠ってしまう、または完全に放棄してしまう。さらには行き当たりばったりで、手前の問題をとりあえず解決しようとしてしまう。これが今回の反省すべき点だった。そしてもう1つ収穫として、思考が固まった時や視野が狭くなった時は他人に話すことで自分の考えがまとまり、視界が晴れることもあるということがわかった。

今回は本当に家族に助けられたと思う。誕生日はちょっといいもの買ってあげよう。

 

 

次回に続く。