愚かな私の卒業記 (3) 〜逃避行でランデブー〜
久しぶりの投稿だ。
さて、この投稿がどんな意味を成しているのか、それを語るにはあまりにも長く、また、あまりにも深い話になるため、恐らくここに文字として記すことは叶わないだろう。
私は明日、卒論の中間発表が控えている。内容が完成して余裕をかましているわけではない。むしろ題材の変更を余儀なくされ、1から調べなおさなくてはならない。
そんな中ブログを執筆する私を、きっと皆は様々な表現を用いて賞賛することでだろう。「見上げた根性だ」「なんて美しい情熱なの!」「ビューティフルなパトスの持ち主である」「ワッザファック?!」「Are you a pen?」「身長伸びた?」「君ってなんだかうちの観葉植物によく似てるんだ」
うむ。想像に難くない。
否!しかし、、、!否!
こんな遊び戯れるような文を書いてる時点で情熱も根性もペンでもないなく、身長だって伸びてないことは想像に難くないだろう。
私は今、現実から逃避行中なのだ。平日は美術館を巡り、授業中は世界史を勉強する。家に着けばyoutubeを開き、時たまギターに触れる。タバコを吸う本数も増え、バイトは社員ように仕込みから入る。
冒頭にカッコつけて啖呵を切った手前、ブログを開いた理由は簡潔に、そして明確にわかっちゃったペロ。現実逃避っす。ええ。ペロりん。
就活に卒論、そして単位の取得。やるべきことが飽和状態になってしまい、逆にやりたいことが見えてきた次第っす。
毎度同じようなことを繰り返しているように思うが、これが人間の本然である。そして私の本然でもある。
毎週の決まったルーティーンに充実感と少しの倦怠感を感じながらも、頭の片隅には現実が落ちない汚れのようにこびり付いていた。
そして今朝、いつもの決まりきったルーティンで漫画を読み始めた。するととある漫画に書いてあった台詞によって私の決まり決まったルーチンは脅かされたのだ。
さらに彼はこう続けた。
「現実に対して目を塞いで立ち止まるのと、目を開いて逃げるのは大きな違いだ。」と。
「あちゃー」
私は不意に図星を突かれ、咄嗟にその言葉が口を衝いてでた。
いや「あちゃー」は違うだろ。そう思うかもしれないが、私もそう思う。
しかし、柔らかい顔しといてめちゃめちゃ毒を吐く人がいることを考えると納得いくだろう。その逆である。
どこが納得いくのかわからないが、とりあえず深刻な顔して柔らかい言葉を言う人、である。めちゃめちゃアホっぽいが実際めちゃめちゃアホだった。
そんな感じで寝起き早々にハッとさせられたわけだが、まさに最近の私は現実に対して目をつぶって立ち止まっている状態だった。
卒論も就活も中途半端に投げ出して、見ないふりをしていた。何か逃げ切る方法を探すわけでもなく、ただ背を向けてしゃがみこみ、そこから手の届く範囲の事を気を紛らわすためにつかっているだけだ。しかし現実は現実であり、立ち止まったところで都合よく変わってくれるわけでもない。
結局のところ、現実と戦いながら逃げていくしかない。現実は生きてる限り追い続けてくるものなのだ。
現実を真っ正面からボコボコにするのか、それとも時々振り返りなんとかやり過ごすのか、はたまた目をかっ開いて振り返り、全力で逃げ切るのか。
いずれにせよ現実に対して、何かしらのアクションが必要なのだ。ボーッと突っ立っていたら津波のように押し寄せてくる現実に流されて、気がついたらあらぬところに行き着いているかもしれない。
つまるところ、やはり建設的な計画が必要であり、また根本的に同じ問題にぶつかったわけだ。
「計画性」
これは私の人生において、大きな課題であることはもはや疑う余地はない。元来そういう人間だからと澄まし顔で言ってる場合じゃない。これもまた向き合っていくしかない問題なのかもしれない。
ただ、やはり何から何まで計画的に、というのはどうにも性に合わない。大事な時に計画的になれる、そんな器用さが必要なのだ。
この人生をかけて、向き合っていくものが1つわかったのは大きな収穫だと言っておきたい。
-ps-
投稿が遅れたため、卒論の中間発表はだいぶ前に終わりましたが、無事ボロカスに言われました。その後、2日ほど卒論のやる気が出たのは進歩ですよね?ねぇ!?