父親がトイレで小宇宙になりつつある

父親がトイレにいる確率があまりにも高い。

 

ほぼ確実に、父親が家に居る時は、トイレをノックしなければ開いていないことが多い。そういうダンジョンでトイレの番人として役割を果たしていると考えたほうが自然なほどだ。

 

そんな、あまりにも不可解、奇妙、不愉快な話であるが、さらに家の決まりとして「トイレで本や漫画を見るのは居座っちゃうから禁止」というのを踏まえたうえでこの話を聞いてもらいたい。

 

 

わたしは現在実家暮らしだが、考えてみればかれこれ21年間ずっと親と暮らしてきた。生まれてからずっとである。そしてここ数年の間で気づいたことが1つある。

 

それは「父親のトイレが長すぎる」という事実だ。敢えて汚い言葉で表現するなら「ジジィのう○こがクソなげえ」となる。この短い文章の間に排泄物を表す言葉が2つも使われている時点で事の重大さがうかがえるだろう。

 

あまりにも長いため、私は父親のトイレの時間に着目、いや、もはや父親の生態調査を始めることにした。なお、観測は朝と夜のみでしか行えなかったため、日中は朝と夜の観測データの平均を当てはめる形となった。

 

すると、さらに驚きの事実を2つ発見することができた。

 

 

それは

「平均して約20分、一回のトイレに費やしていること」

 

さらに

「1日に10回以上はトイレに足を運んでいると予想されること」

である。

 

 

 まさに奇々怪々である。

 

 

何がそれほどまでに父親をトイレに居座らせるのか。もはやあの狭い空間の中で何が起きているのか、私の矮小な想像力では到底導きだすことはできない。

 

もしかしたら単に落ち着いているだけなのかもしれないし、瞑想をしているのかもしれない。それとも実は巨万の富が隠されているのかもしれないし、何なら異世界につながっているかもわからない。

 

 

 

小さな宇宙なのだ。

 

あの小さな空間で分かっていることは、ただ父親がそこに入っていったという事実のみだ。薄い木製のドアを一枚隔てて、そこは様々な可能性を秘めた未知の空間と化しているのだ。

 

こんなちっぽけな私でも、捉え方ひとつで身近に宇宙を感じることができるのだ。なんて素晴らしい生き物なのだろうか、人間というのは。この美しい奇跡に感謝したい。

 

 

 

 

 

 

 

じゃねえよボケエエ!!!!

 

 

おもいっきり朝新聞持ち込んでんじゃねえかボケエエ!!!!

 

完全にトイレの中でただ新聞読んでるだけだろうがゴレエエ!!

 

次に入るときだいたい新聞忘れて行ってるからわかるんじゃギョエエ!!!!

 

というかそもそも本とか漫画持ってっちゃダメなら新聞もダメだろがヴエエ!!!!

 

 

何が嫌って、生理現象を我慢するストレスよ。それに加えてあの態度。
ノックしたら「ちょっと待ってよ!!(怒)」が返ってくる。

 


ひょ!?

拙者が悪いのでござるか?

 

 

出たと思ったら不機嫌な顔して早足で廊下を去っていく。そんな感じされたらなんだかちょっとノックするの躊躇っちゃうじゃないか。え、ほんとに俺が悪いのかなってなっちゃうだろ。

 

そんな感じでノックを躊躇ってしまうので、結局我慢を強いられることになる。さらにだいたい結局はノックをすることになるので、不機嫌な感じを出される。

つまりトイレに入るだけで、私は無条件に2つものストレスを抱えていることになる。そんなのってあんまりだぜ!

 

 

 

そんな右か左かと問われればトイレと答えるような父親であるが、老後に仕事を辞めて家にいたら、どうなってしまうのだろうか。

 

確かに、あまりにもトイレに長居しすぎるため、家族が父親の姿を見失うという信じ難い怪事件が発生してから、「インビシブルトイレマスター」の称号を得ている我が父親であるが、流石にトイレにこもりっきりになることはないだろう。

 

しかし、そう簡単に断言してしまっていいのだろうか。人生において結構な割合をトイレという空間に捧げているであろう我が父親だ。そんな常識で判断してはいけない。

 

 

人間が陸にしか生きれず、魚が海にしか生きれないように、私の父親はトイレにしか生きれないのかもしれない。実はトイレに生まれトイレに育てられて来たのなら十分にあり得る話だ。

 

なんならたまたま人間の姿に生まれてしまったがために人間のふりをし続けなかった憐れなトイレなのかもしれない。そう思うと少し笑えてくる。いや、俺トイレの子供になるから笑えねえ。

 

 

トイレを我が城といわんばかりに占領するあまり、本気で家族がマンションの一階まで下りて、公共のトイレを使うという偉業を図らずして達成した我らが父親ではあったが、私はきっと父親はトイレから生まれ、老後の果てにはトイレと一体化し、収束するであろう未来を信じてこの苛立ちを収めることにした。