後輩がカツラで威圧してきた

 
そう、あれは去年の初夏の出来事だった。忘れるはずがない。大学生最後の夏休みに踊る私の胸を一瞬にして凍り付かせた出来事を。。。


私は居酒屋のキッチンでアルバイトをしているのだが、夏休み前ということもあり、お金を貯めるために午前中から仕込み入りをすることが多くなっていた。その日も仕込みから入り、慣れない作業と夏の暑さに苦戦していた。

特に仕込みで苦戦していたのがだし巻き卵だった。だし巻きは卵を薄く伸ばして巻いていくだけの簡単な料理に感じるが、これがまた難しいのだ。最後のひと巻きがきれいにできればきれいに見えるだろとか言う考えは甘い。そんなに現実は甘くないし、だし巻きの味もむしろしょっぱいほうが好きだ。1回目からきれいに巻いていないと側面から見たときにぐちゃぐちゃで汚いだし巻きになっていしまうのだ。さらに最後のひと巻きも表面が焦げ付いていたら即アウトだ。こんなのバイトが背負える責任の重さを軽く凌駕している。


一通り仕込みを終わらし、後は営業時間までひたすらだし巻きを巻き、ひたすら社員のだし巻きの美学を聞かされた。あの中華料理屋のだし巻きが結局一番きれいだとかなんとか言っていたのでめちゃめちゃ真剣な顔で聞き逃すことにした。
 
 
そして社員の出汁巻きBGMにも慣れてきた頃、ついに今回の話の主役であり、私の唯一の一個下の後輩であるK君が顔に大きな絆創膏をし、頭部に地雷を乗せて出勤したのである。
 
 
それはもう一目でわかってしまうのだ。”失敗した出汁巻き”だと…
表面は焦した出汁巻き同様、妙に黒いのだ。さらに側面に至っては人体の仕組みを完全に無視した不自然な毛の生え方をしている。まさに失敗した出汁巻きの側面である。もう見事なまでの典型的お笑い特化型カツラであった。このまま自らハプニングを起こしてくれるのではないかと錯覚してしまうほどに。
 
 
年頃の男の子というのは少し見ないだけでも驚くほど変わるとよく聞くが、さすがに変化の仕方にデンジャラス要素が多過ぎる。少し危険な香りのする男の方が魅力があるとも聞いたことあるが、ベクトルが違いすぎだしもはや火薬の香りしかしない。
もちろん私は爆弾処理犯でもないのでいったん様子を見ることにした。
 
しかし、いつまでも様子を見ていられるはずもなく、K君はさも平気な顔してこっちに向かって来るのだ。そして私に初手から最大火力をぶつけてきた。
 
 
 
「これ、わかっちゃいますかね?」

瞬時にギャグかシリアスの二択を考えた。
私の心はこの発言をギャグとして捉えているが、いかんせん確実にシリアスであること
を彼の顔の傷が物語っていた。
 
また彼は続け様に、血に飢えた快楽殺人犯よろしくオーバーキルを狙いに来た。
 
 
 
「髪切ってもらったんですけどやっぱだめすかねえ〜」
 
これは確実にギャグだ。
私の今までの人生の中でこれほどまでに難しいコミュニケーションシーンがあっただろうか。ギャグと踏んでツッコミに行った瞬間大爆発なんて地獄すぎる。そう、彼は今、存在的にもフォルム的にも(主に頭部)マルマインである可能性が高いのだ。私は恐怖のあまり生返事をしてすぐその場を離れてしまった。
 
 
そのあとも彼はどういう腹積りか「いや〜、あついっすねえ」といったり、しきりに髪を気にする素振りを見せてきた。
もうどん底からの捨身のギャグなのか、私に対する高度な嫌がらせなのかわからなくなってきた。ただただいつ爆発するかわからない地雷を見守るので精一杯であったが、そんなシーソーゲームも彼の発言で終わりを告げることとなった。
 
彼は私に
「髪染めたのばれてないっすかね〜」
と言ったのだ。
 
最初はこのお笑い殺人鬼がぁ…とも思ったが、よくよく思い出すとピンとくることがあった。
私はてっきりK君は頭に大きな怪我をしてカツラをすることになってしまったのだと思い込んでいたが、以前確かに前にK君が髪を明るい色にするからバレないようにカツラを買うと言っていたのを思い出した。違和感がなくなるように知り合いの美容師にカットしてもらうとも確かに言っていた。
そして顔の怪我は、バンドのライブ中にできたものだそう。
 
 
まあ、後輩がお笑いカツラ殺人鬼じゃなくてよかった。