父親がトイレで小宇宙になりつつある

父親がトイレにいる確率があまりにも高い。

 

ほぼ確実に、父親が家に居る時は、トイレをノックしなければ開いていないことが多い。そういうダンジョンでトイレの番人として役割を果たしていると考えたほうが自然なほどだ。

 

そんな、あまりにも不可解、奇妙、不愉快な話であるが、さらに家の決まりとして「トイレで本や漫画を見るのは居座っちゃうから禁止」というのを踏まえたうえでこの話を聞いてもらいたい。

 

 

わたしは現在実家暮らしだが、考えてみればかれこれ21年間ずっと親と暮らしてきた。生まれてからずっとである。そしてここ数年の間で気づいたことが1つある。

 

それは「父親のトイレが長すぎる」という事実だ。敢えて汚い言葉で表現するなら「ジジィのう○こがクソなげえ」となる。この短い文章の間に排泄物を表す言葉が2つも使われている時点で事の重大さがうかがえるだろう。

 

あまりにも長いため、私は父親のトイレの時間に着目、いや、もはや父親の生態調査を始めることにした。なお、観測は朝と夜のみでしか行えなかったため、日中は朝と夜の観測データの平均を当てはめる形となった。

 

すると、さらに驚きの事実を2つ発見することができた。

 

 

それは

「平均して約20分、一回のトイレに費やしていること」

 

さらに

「1日に10回以上はトイレに足を運んでいると予想されること」

である。

 

 

 まさに奇々怪々である。

 

 

何がそれほどまでに父親をトイレに居座らせるのか。もはやあの狭い空間の中で何が起きているのか、私の矮小な想像力では到底導きだすことはできない。

 

もしかしたら単に落ち着いているだけなのかもしれないし、瞑想をしているのかもしれない。それとも実は巨万の富が隠されているのかもしれないし、何なら異世界につながっているかもわからない。

 

 

 

小さな宇宙なのだ。

 

あの小さな空間で分かっていることは、ただ父親がそこに入っていったという事実のみだ。薄い木製のドアを一枚隔てて、そこは様々な可能性を秘めた未知の空間と化しているのだ。

 

こんなちっぽけな私でも、捉え方ひとつで身近に宇宙を感じることができるのだ。なんて素晴らしい生き物なのだろうか、人間というのは。この美しい奇跡に感謝したい。

 

 

 

 

 

 

 

じゃねえよボケエエ!!!!

 

 

おもいっきり朝新聞持ち込んでんじゃねえかボケエエ!!!!

 

完全にトイレの中でただ新聞読んでるだけだろうがゴレエエ!!

 

次に入るときだいたい新聞忘れて行ってるからわかるんじゃギョエエ!!!!

 

というかそもそも本とか漫画持ってっちゃダメなら新聞もダメだろがヴエエ!!!!

 

 

何が嫌って、生理現象を我慢するストレスよ。それに加えてあの態度。
ノックしたら「ちょっと待ってよ!!(怒)」が返ってくる。

 


ひょ!?

拙者が悪いのでござるか?

 

 

出たと思ったら不機嫌な顔して早足で廊下を去っていく。そんな感じされたらなんだかちょっとノックするの躊躇っちゃうじゃないか。え、ほんとに俺が悪いのかなってなっちゃうだろ。

 

そんな感じでノックを躊躇ってしまうので、結局我慢を強いられることになる。さらにだいたい結局はノックをすることになるので、不機嫌な感じを出される。

つまりトイレに入るだけで、私は無条件に2つものストレスを抱えていることになる。そんなのってあんまりだぜ!

 

 

 

そんな右か左かと問われればトイレと答えるような父親であるが、老後に仕事を辞めて家にいたら、どうなってしまうのだろうか。

 

確かに、あまりにもトイレに長居しすぎるため、家族が父親の姿を見失うという信じ難い怪事件が発生してから、「インビシブルトイレマスター」の称号を得ている我が父親であるが、流石にトイレにこもりっきりになることはないだろう。

 

しかし、そう簡単に断言してしまっていいのだろうか。人生において結構な割合をトイレという空間に捧げているであろう我が父親だ。そんな常識で判断してはいけない。

 

 

人間が陸にしか生きれず、魚が海にしか生きれないように、私の父親はトイレにしか生きれないのかもしれない。実はトイレに生まれトイレに育てられて来たのなら十分にあり得る話だ。

 

なんならたまたま人間の姿に生まれてしまったがために人間のふりをし続けなかった憐れなトイレなのかもしれない。そう思うと少し笑えてくる。いや、俺トイレの子供になるから笑えねえ。

 

 

トイレを我が城といわんばかりに占領するあまり、本気で家族がマンションの一階まで下りて、公共のトイレを使うという偉業を図らずして達成した我らが父親ではあったが、私はきっと父親はトイレから生まれ、老後の果てにはトイレと一体化し、収束するであろう未来を信じてこの苛立ちを収めることにした。

 

 

幼少期から計画的にカルピスバー中毒にされた男

今週のお題「わたしのイチ押しアイス」

 

 

 

最近は緩やかに夏に向かうことが無くなってきたような気がするが、今年の夏も例に漏れず、にわかに本格的な夏が訪れた。また、それに伴い、我が家の小さな冷凍庫にもこれでもかと言うほどのアイスが賑わいはじめてきた。

 

母が買ってきた12本入りの色とりどりのアイスに、父が買って食い残したジャンボ。貧乏臭いからあまり好感は持てない。

 

そして年々小さくなってる気がする角10棒。技術の進歩が進むとシンプルでコンパクトなフォルムになるというがそう言うことなのだろうか。そういうことにしとこう。

 

あとはたまにあるのが一種類のみになったアイスの実。これに関しては完全に愚行だ。売り上げは落ちたに違いない。いや、落ちろ。

 

 

しかし、この熱烈な冷凍庫戦争の中で、一際強い光を放つのが「カルピスバー」なのだ。カルピスという素材はアイスの形態でこそ、その真価を発揮する。もはやこの戦争の中ではエクスカリバーと呼んでもいいかもしれない。この聖なるアイスを手に取ったその瞬間のみは夏に完全勝利できるのだ。

 

これほどまでにカルピスバーを推している私であるが、実は自分がカルピスバーを好きだと言う事実に気づいたのはつい4年前ほどだ。

ではなぜ今更になってカルピスバーが好きだと気づいたのか、そこには長い年月をかけた我が一族の陰謀が隠されている、、、可能性も決してゼロとは言い切れないからそうやって簡単に否定する姿勢は改めた方が君の今後の人生のためになると思って僕はわざわざ忠告しt...

 

 

まあそんな感じで訳を話すために遡ること約15年前。

私は小学校低学年のとき、夏になると父方の祖母の家によく遊びに行っていた。祖母の家ではいつも冷凍庫いっぱいにアイスが詰め込まれており、幼かった私は本当にそれが宝箱のように魅力的で現実離れしたものに感じていた。

 

当然カルピスバーもあったのだが、当時の私はチョコレート狂だったこともありカルピスバーの放つ光には目もくれなかったのだ。

 

しかしある日、タイミングが悪く、ちょうど冷凍庫のアイスがほとんどない時に遊びに行ったことがあった。幼い頃から業が深かった私は、ほとんどお小遣いとアイスのために祖母の家に訪ねていた訳であったのだが、その片方がほとんど無いと知り、ひどく落胆していた。

 

 

この時、仕方なく余っていたカルピスバーを手に取ったのが全ての始まりだった。

 

 

しかし当時は、「おっ、意外と美味いじゃん。」と思ったものの、やはりチョコレート一強時代のため、補欠の内の一つでしかなかった。

 

 

 

違和感に気づいたのは高校生の頃だった。この頃は気分によってカルピスバーを選ぶようになっていたが、時折、猛烈にカルピスバーが食べたくなる衝動が起きるようになった。

 

 

 

さらに大学に入り、過去の記憶を遡ると恐ろしい事実に気がついた。

 

それは今まで祖母の冷凍庫からカルピスバーだけは切らしていたことがほぼ無いということだった。

 

他のアイスは季節や年によって目まぐるしく変わっていったが、カルピスバーだけはいつの時も冷凍庫の奥深くで目を光らしていた。

私はもしや、、、と思ったのだ。

 

 

 

そして現在、私はカルピスバーなしでは生きられなくなってしまった。

 

大量の汗と眩暈(暑いからね!)から始まり、手足のしびれ(脱水症状だよね!)、幻覚(...陽炎だよね!?)が生じる。

そして私は欲するのだ。あの白いやつ(多分カルピスバー...?)を、、、。そして、耐えきれなくなりすぐさまそれを注入する(おやあ?)と、俺は一瞬でトリップしちまうんだ 。(おっと?)

 

 

そんな感じでおらぁばあちゃんちのケミカルバー(…!?)で意図的に開発されちまってたって話なんだぜhaha!!

 

 

 

と、半分冗談を交えつつ、実際カルピスバーにはやみつきになる何かがあるのでくれぐれも慎重に食べるようにって話でいいかな、もうオチとかいいかな、いいよね!?

 

 

以上、カルピスバーにハマっただけの人でした。

 

 

 

愚かな私の卒業記 (3) 〜逃避行でランデブー〜

久しぶりの投稿だ。

さて、この投稿がどんな意味を成しているのか、それを語るにはあまりにも長く、また、あまりにも深い話になるため、恐らくここに文字として記すことは叶わないだろう。

 

私は明日、卒論の中間発表が控えている。内容が完成して余裕をかましているわけではない。むしろ題材の変更を余儀なくされ、1から調べなおさなくてはならない。

 

そんな中ブログを執筆する私を、きっと皆は様々な表現を用いて賞賛することでだろう。「見上げた根性だ」「なんて美しい情熱なの!」「ビューティフルなパトスの持ち主である」「ワッザファック?!」「Are you a pen?」「身長伸びた?」「君ってなんだかうちの観葉植物によく似てるんだ」

うむ。想像に難くない。

 

 

 

 

否!しかし、、、!否!

 

 

 

 

こんな遊び戯れるような文を書いてる時点で情熱も根性もペンでもないなく、身長だって伸びてないことは想像に難くないだろう。

 

私は今、現実から逃避行中なのだ。平日は美術館を巡り、授業中は世界史を勉強する。家に着けばyoutubeを開き、時たまギターに触れる。タバコを吸う本数も増え、バイトは社員ように仕込みから入る。

 

冒頭にカッコつけて啖呵を切った手前、ブログを開いた理由は簡潔に、そして明確にわかっちゃったペロ。現実逃避っす。ええ。ペロりん。

 

 

就活に卒論、そして単位の取得。やるべきことが飽和状態になってしまい、逆にやりたいことが見えてきた次第っす。

毎度同じようなことを繰り返しているように思うが、これが人間の本然である。そして私の本然でもある。

 

毎週の決まったルーティーンに充実感と少しの倦怠感を感じながらも、頭の片隅には現実が落ちない汚れのようにこびり付いていた。

そして今朝、いつもの決まりきったルーティンで漫画を読み始めた。するととある漫画に書いてあった台詞によって私の決まり決まったルーチンは脅かされたのだ。

 

 

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さらに彼はこう続けた。

現実に対して目を塞いで立ち止まるのと、目を開いて逃げるのは大きな違いだ。」と。

 

 

 

 

あちゃー

 

 

 

 

私は不意に図星を突かれ、咄嗟にその言葉が口を衝いてでた。

 

いや「あちゃー」は違うだろ。そう思うかもしれないが、私もそう思う。

しかし、柔らかい顔しといてめちゃめちゃ毒を吐く人がいることを考えると納得いくだろう。その逆である。

 

どこが納得いくのかわからないが、とりあえず深刻な顔して柔らかい言葉を言う人、である。めちゃめちゃアホっぽいが実際めちゃめちゃアホだった。

 

そんな感じで寝起き早々にハッとさせられたわけだが、まさに最近の私は現実に対して目をつぶって立ち止まっている状態だった。

 

卒論も就活も中途半端に投げ出して、見ないふりをしていた。何か逃げ切る方法を探すわけでもなく、ただ背を向けてしゃがみこみ、そこから手の届く範囲の事を気を紛らわすためにつかっているだけだ。しかし現実は現実であり、立ち止まったところで都合よく変わってくれるわけでもない。

 

結局のところ、現実と戦いながら逃げていくしかない。現実は生きてる限り追い続けてくるものなのだ。

 

現実を真っ正面からボコボコにするのか、それとも時々振り返りなんとかやり過ごすのか、はたまた目をかっ開いて振り返り、全力で逃げ切るのか。

 

いずれにせよ現実に対して、何かしらのアクションが必要なのだ。ボーッと突っ立っていたら津波のように押し寄せてくる現実に流されて、気がついたらあらぬところに行き着いているかもしれない。

 

 

つまるところ、やはり建設的な計画が必要であり、また根本的に同じ問題にぶつかったわけだ。

 

計画性

これは私の人生において、大きな課題であることはもはや疑う余地はない。元来そういう人間だからと澄まし顔で言ってる場合じゃない。これもまた向き合っていくしかない問題なのかもしれない。

ただ、やはり何から何まで計画的に、というのはどうにも性に合わない。大事な時に計画的になれる、そんな器用さが必要なのだ。

 

この人生をかけて、向き合っていくものが1つわかったのは大きな収穫だと言っておきたい。

 

 

 

-ps-

投稿が遅れたため、卒論の中間発表はだいぶ前に終わりましたが、無事ボロカスに言われました。その後、2日ほど卒論のやる気が出たのは進歩ですよね?ねぇ!?

永遠のマイノリティ「左利き」

皆さんこんにちは。最近は、鼻かぜを引いてしまい、締めそこなった蛇口のように無限に出る鼻水を垂れ流しながらどうにかこの永久機関を活用できないか、と考えていた私です。

どうしてあんなにも出るのだろうか、一日にどれだけの量出ているのかを瓶に集めて確認してみたい。ちなみに思いついた活用方法は、ろ過装置を使って水筒なしで飲み水を持っていけるというものである。まあ普通に飲みたくないし、そもそもろ過装置のほうが水筒より幅取るだろうし、とにかく最低な案だった。

 

 

さて、人間社会というのは常にマジョリティーであることを前提として作られている。これは種が持つ生存本能として正しい姿であり当然のことだと思う。しかし、一旦マジョリティーからはみ出してしまうと、にわかに歯車がかみ合わなくなるようになっている。こと利き手においても同じことが言える。

 

皆さんは左利きの割合をご存知だろうか。世界的な平均で見ると左利きの割合は10%ほどだと言う。

 

いや、意外と多いな、、、

 

10人に1人は左利きと考えると割と身近な存在な気がしてくる。

しかし、さらに個人的に驚きなのは、アメリカよりも日本の方が左利きの割合が高いそうだ。日本での割合は12%で、アメリカではなんと2%ほどしかいないそうだ。これは完全に私のイメージだったのだが、日本発祥の競技や文字が右利き用に作られていたり、文化を重んじる日本の方が利き手に関しても厳しいと思っていた。実際はアメリカの方が利き手に関しては厳しいのかもしれない。自由の女神ももしかしたら強制されて右利きなのかもしれない。右手めっちゃ掲げてるし。

 

なんて左利きの割合データを見ただけで思ってしまっていたが、この見解はどうやら間違っていたようだ。

アメリカの両利きの割合を見てみると誤りであることがよくわかる。両利きの割合はなんと28%もいるそうなのだ。そう、自由の国ではもはや利き手という概念に縛られていないのだ。だと思ってたぜ、信じてたぜ、ほんとだぜ。

 

まあこのように誤解してしまうことがあるのが統計データの罠である。あたかもそのデータが全てであると思い込み、母数やカテゴリーの少なさなどを見落として、事実の解釈を誤ってしまうのである。

なんとなく恥をかいた気がするので、未だに右利きと左利きで縛ってるなんて極めて日本的であると揶揄して心の安定を取っておきたい。

 

話がややそれてしまった気がするが、とにかく私が言いたいことは、日本において、この10%ほどの左利きの人々は生きづらさを感じているということだ。

 

先ほど、日本発祥の競技と述べたが、特に「道」のつく競技には個人的にかなり鬱憤が溜まっている。なんせ、そのほとんどが右利き用にできているからだ。さらに男にとっては、これらの競技を学生時代に体育の授業で行わなくてはいけないのだ。そう、この時初めて、この右利きの星に生まれ落ち、自身がマイノリティであることに対して洗礼を受けることになるのだ。

 

まず小学生の書き初め大会を皮切りに右利き文化による暴力は始まったのだ。とは言うものの、私の母親は、私を習字教室に無理やり通わせていたので、恥辱を受けるどころか賞を取るくらいだったのだが。

まだ物心ついて間もない私は、幼心にも

「母よ、なんぞ我はわざわざ字を教わっているか、文字は不自由なく書け得ているぞよ」

と思っていた。しかし、私の母親は学校での書道を見越して、通わせていたのだ。今になって、理解し感謝することになった。めっちゃサボったりしてごめんなさい。

 

しかし、中学に上がり、私は結局マジョリティの餌食になる。それは柔道によって行われた。

私は線は細いが、割と運動は出来る方であった。そのため、体育の授業は好きで初めてやる柔道も楽しみだったのだ。そんなウキウキで無邪気な私だったのだが、教員の絶対的な一言で戦慄することになった。

 

「右利きの形でやれ」

 

動悸がし始め、眩暈を覚えた。やがて視界が暗黒に支配され、気がつくと畳の上で薄汚れた蛍光灯の光をぼんやりと眺めていた。まあ流石に言いすぎた。

しかし実際、体一連の動きを逆にやれというのは、極めて難しいことである。その時の私は戦慄こそしたものの、右利きの動作はそこまで難しいものではないと高を括っていた。

 

一通り練習をし、精神統一をしたのち、組み手が始まった。もはや心技一体となった私に怖いものはなかった。

 

いざ尋常に、一本目。

 

私は先に相手の足を取り、素早く腰を下ろし、相手と反対方向に体を捻らせた。背負い投げの形だ。しかし、瞬間、私は困惑した。

 

体がついてきていない、だと…!?

 

心技が一体となったはずの私のイメージと体が全く噛み合っていない。イメージはミスター靴べらこと柔道の篠原さんの背負い投げだ。しかし、実際私はどうだろうか。

ほぼ間違いなく、ぎこちない中腰で大便を踏ん張る真っ赤な顔した篠原さんの態だったろう。申し訳ない、篠原さん、公衆の面前で。

 

持ち上がらない相手の体。

瞬間、私は悟った。暫しの逡巡ののち、ゆっくりと相手に向き直り、体に力を入れた。

 

私は今、夢のように思い出す。

「殺れるのは、殺られる覚悟のあるやつだ」

その言葉の真意を。

 

旋回し、一瞬のうちに変わる景色に意識が追いつかず、私は宇宙の片鱗を見た気がした。気がしただけだ。気がつくと畳の上で薄汚れた蛍光灯の光をぼんやりと眺めていた。受け身はもちろん屋上から転落死した篠原さんの態だ。何度もすまない、篠原さん。

このまま母国を亡命したい衝動に駆られたが、よく考えたら私は政治家でもなければ軍人でもなかった。

 

不甲斐ない結果になった私は、憂さ晴らしに体育教員に文句の1つも言えるような気概は持ち合わせていなかったので、心の中で散々悪態をついた。こんな気持ちになるなら、もういっそのこと別の星で手足10本くらいで生まれたかった。

 

このような恥辱は中高にわたって続いたが、これ以上ここに綴るにはあまりにも長くなり、気力が持たないのでやめておく。何よりそんな実はそんな重大な問題じゃない気がしてきた。

 

しかし、左利きの方は言わずもがな、ご存知の通り、世の中には右利き用にできているシステムが数多く存在する。その全てが純粋な左利きにとって地味にストレスになることが多い。左利きのために改善しろとはとてもじゃないが言えないが、それでもそのために永遠のマイノリティが誕生してしまうのを訴えたいのだ。

 

何より、左利きの寿命が平均より9年短いと聞いたのでなんか騒ぎたかった。

まあこれも統計データの罠かもしれないが。

 

 

 

 

 

 

愚かな私の卒業記(2)~無意識の性は点へ落ちる~

休学をしよう!

 

そう考え付いたのは2月の中頃だった。

前回は私の計画性のなさを振り返り、自分を戒めるといった内容であったにも関わらず、私はその記事を書いている時点で既に目的のない休学を望んでいた。ほんとにバカなのかな。間違いなくバカだわ。

反省に次ぐ反省をしている最中に、また新たな反省の種を植えていたことになる。その種は3月の下旬に無事花を咲かせたそう。開花が今までより早いことが失敗を学んでいるとも取れるよネ♪

 

なぜ休学をしようと思ったか、その理由は例のごとく自由への逃避である。逃げるのは悪くないが、計画性のない逃げはまた同じことを繰り返しかねない。頭ではわかっているはずなんだけどなあ。

どうやら私という人間は、無意識に楽で自由に見えるところに流れていく性質らしい。そして同じことを繰り返し、反省する。いやきっとこれは人間の性である。そう信じて少しでも救われた気持ちになりたい。。。

そんな救いようのないことを考えていたら、私の高校来の悪友であるK君も就活をしないということもあり、なんとなく味方がついたような気待ちになり、ますます私の休学に対する肯定感に拍車がかかった。

 

昔から気が小さい為か、私は誰かに肯定されたり、味方ができたと判断すると、極端に気が大きくなるところがあるのだ。この時もそのような気持ちになり、正常な思考をできなくなっていた。そして何を思ったか、「これなら親に休学をしたいとの旨を伝えたとしても上手くいくはずだ」と論理をすっ飛ばして感情のみで親に休学をするに至った事の顛末を話してしまった。

 

結果から言うと、ものすごく説教された。休学をするという目標だけにとらわれて、思考を完全に停止していた私にとって、この説教には突然ぶん殴られたような衝撃と威力があった。そして新しい技術を拒絶する古い人間の気持ちも同時に分かったような気がする。

説教の内容を要約すると、どうやら「休学してまでやりたいことがわからない」ということだった。この的確な指摘は、私の凍りついた脳みそを溶かす重要な役目を果たしてくれた。

 

立ち返って私が休学をする理由は何だろうと考えると、出てくるのは卒論と就職からの逃げ、そして趣味の時間を取りたいというなんとも後ろ向きで曖昧な理由しかなかった。しかしこれが事実であり、この理由で私は休学をするに至ったのだ。たしかにこの理由で休学というのは何かもやっとするものがあった。しかし、このモヤモヤの正体が私には終ぞ解決できないまま、ひと月経ってしまった。

 

そして3月になり、私の兄が実家に帰ってきた。私に就活の状況はどうだと聞くので、私は正直に今までのことを話した。するとここでもまた、私は兄の発言にぶん殴られた。

兄の発言を要約すると「将来やりたいことのために今何をしたらいいか選択する」というものだった。

 

将来やりたい事のために休学という選択は本当に正しいのか、休学という選択の先に私の将来は確立されるのか、という問題に突き当たった。そもそも私は将来何をしたいのか。そこから考える必要がある。ここで考えるべきは大まかな将来像ではなく、具体的な近しい将来についてである。

兄の巧みな質問による誘導によって、私の将来したいことは分かってきた。それは、親元から離れて自立すること、趣味である音楽をすること、このたった2つだけだった。兄の助言、もとい神のお告げによると、ここから後ろ向き帰納法のように逆算すると自ずと今やるべきことは見えてくるそうだ。さすが我が唯一神

 

こう考えると、私が休学をしたい根本的な理由も見えてきた。私は、趣味の音楽をするにあたって、卒論と就活はかなり邪魔になると思ったので排除したいと思い、さらに親の干渉を受けたくない、ひいては早く大学という縛りから解放されたい、そう思い休学をしようと思ったのだ。

 

しかし、これらの問題はもう少し先のことまで目を向けると簡単に解決できるのだ。我が唯一神からの天啓によると、この休学問題のカンフル剤はまさかの一年後に就職をすることだった。まず就職をすることで、親元から離れることは簡単にできるだろう。流石に趣味に費やす時間は学生の時より減ってしまうが、それでも趣味の妨げになるものは除去でき、さらには安定した収入を得られるのだ。

実際、休学をして一番の問題となるのはやはりお金だろう。休学にかかる費用だけでなく、生活費や一人暮らしをするなら家賃も全てアルバイトで賄わなければならない。そう考えると休学をせずに就職を選べばかなりのお金が浮くだろう。

 

つまり1年間我慢して卒論と就活をしてしまえば、その先はある程度の自由は確保でき、これらの問題は解消されるということだ。そもそも、卒論と就活をしたくない理由は、めんどくさいというのはあるが、その本質的な理由は趣味の時間が取れないからであった。そう考えるとたった1年でそれらが解消されるならかなりコスパがいいと思える。

なるほど、ずっと感じていたモヤモヤは休学のいう選択が最適解ではなかったからか。

 

 

手前の問題に囚われ、全体像を見失い、先のことに対しての思考を怠ってしまう、または完全に放棄してしまう。さらには行き当たりばったりで、手前の問題をとりあえず解決しようとしてしまう。これが今回の反省すべき点だった。そしてもう1つ収穫として、思考が固まった時や視野が狭くなった時は他人に話すことで自分の考えがまとまり、視界が晴れることもあるということがわかった。

今回は本当に家族に助けられたと思う。誕生日はちょっといいもの買ってあげよう。

 

 

次回に続く。

 

友人に対する依存の癖

皆さん、こんにちは。

最近は、小学生の頃から、"を"の音を"うぉ"と出している人が一定数いるなあと思っていたのですが、あれ、ローマ字で見てみれば簡単な話だった事に10年経って気づいた私です。

"わ"の発音を考えてみると、"あ"にwの発音を足して"わ"と発音しているわけです。"わ"を細かく分けると"うぁ"と発音しているわけで、つまり、wの音は"う"であることがわかります。なのでwにoを付けて発音すれば、"うぉ"となることは当然のことでした。そんなことうぉ今更になってうぁたしは気づいた。

 

 

 

私はもしかしたら生来の依存症なのかもしれない。そう思ってしまうほど、私にはどうにも人に委ねてしまうところがあるようだ。

 

もともと友人は多く持つタイプではなく、数名仲がいい人がいればいいという人間だった。物心ついた時からなんとなくそんな感覚はあって、自ら交流を広げるのにはよく苦労したものだった。幼稚園から中学にかけてはずっと仲のいい人とつるんでいて、それが全てであり、その人たちの判断が私の判断であることが多かった。

心の安定の取り方は人それぞれであり「色んな人と常に交流してなければ落ち着かない」と言う人もいれば、「信頼できる居心地の良い関係の中で落ち着いていたい」と言う人もいるだろう。私は間違いなく後者であった。

 

高校の時、生涯信頼できる関係を手に入れた。間違いなく良い関係であり、良い出会いであったと思う。しかし、私の場合、過度な信頼は依存へと変化していき、私を盲目にさせてしまった。信頼しているが故に、たとえ気をつけていようとも、無条件にその全てを正しいと、あるいは肯定的に捉えてしまうことが多くあった。

 

私は今、大学生の普遍的な悩みである「自分の正体とやりたいこと」について悩んでいる。自分を構成する要素は間違いなく自分であるが、自分を評価するのは他人であることが多く、また、意外と他人から自分を知ることがある。そして「自分の正体」を知る際には、今まで自分が他人にどれだけ正体を晒してきたかが重要になる。この点においては、依存するほど信頼しているためほとんど晒してきたと言える。しかし、より正確に他人と比べた自分の正体を知るためには、相対評価が必要になってくる。これが問題なのだ。

 

情報というのは、常にアンテナを張っていないと入ってこない。そして真実を知る際には、その情報量こそがより正確な真実の輪郭を描き出すものだ。あまり人と深く関わらない私であるために、相対評価をする際の情報量が少ないのだ。そんな中、依存相手に「君は〜が優れているからやったほうがいい」と言われてしまう。自分のことを一番深く知っている彼の口から発せられているのだから間違いない。正しいはずだ。やるべきだ。こんな風に無意識のうちに肯定してしまうのだ。私はもしかしたら依存を通して自分の人生の責任を押し付けようとしているのかもしれない。君が可能性を提示するから乗っかっただけだと言うように。

 

やりたいことを探している私は、絶対の信頼を置く依存相手をまるで自分の一部のように扱い、その目に映る私からやるべきを見つけ出した。その目は私のではないし、その可能性も私が信じたものではない。どこまでいっても私は私であり、彼は彼であり、自分のように扱うべきではない。

 

つまり今の私は、自分の本当の価値が分からないのにも関わらず、彼の言葉を盲信し、責任を押し付けた上で自分の判断であると主張しかねない。その上、やりたいこととやるべきことがわからなくなっている。恐ろしいのは、このことに今まで気づかなかったことだ。このまま気づかなかったら私は彼の目で私の人生を描き歩むところだった。

 

今一度この距離を計り直すことが必要だ。どこか遠くで過ごすも、他から刺激をたくさんもらいに行くのもアリだ。一度リセットして、本当の自分と向き合い、やりたいことを探すことが重要だ。

 

 

「専業主婦」って何なんだ!?

最近は「共働き」という言葉が聞き慣れてきたが、とあるネットの記事で「そもそも日本の伝統的な家族観は専業主婦ではない」という意見を目にし、私は少し面を食らった。その意見は、歴史的背景や世界観を無視する政治家に対する苦言であったが、私自身も勝手に日本の家族様式だと思っていた節があるため、この記事を書くに至った。

 

 

 

 

専業主婦とは何か

 

簡単に言うと、家事や子育てなど、家のこと全般を従事する既婚の女性のことを言う。感覚的には、夫が外でお金を稼ぐ仕事をし、妻は家でお金が発生しない仕事をしている感じだ。この文化は日本だけでなく、海外でも専業主婦をする文化はある。

 

専業主婦の歴史

 

私のような20代前半の人たちは、体感的に、共働きと専業主婦の親が半々いる世代だと思う。最近になって共働きをする家庭が増えてきたからだ。そんな私たちにとって専業主婦という家族観は、昔からある日本の伝統的な文化と錯覚してしまいがちかもしれない。

しかし、実際は専業主婦という文化は、比較的新しいものである。日本では大正時代から主流となってきた文化だ。単体でこの文化が発生したわけではなく、サラリーマンと同時に発生したといわれている。むしろその前までは、共働きが主流であり、専業主婦は一般的ではなかった。この背景には、職業形態の変化が深くかかわっている。

産業革命のよる工業化が専業主婦の発生の原因とされており、農業から工業への移行が賃金上昇と男性雇用の拡大を促進し、また国も男性が稼ぐ世帯を前提とした保険や扶助に関する制度を作り始めた。この職業形態の変化による動きは日本だけでもなく諸外国でも同じようにあった。イギリスでは19世紀の中ごろから20世紀中ごろに専業主婦は確立した。

産業革命前の農業が主な職業であった日本では、収入も安定せず、全体的に賃金が低かったために家族全体で働くことが多かった。そう考えると、専業主婦が確立できたのは、なにより工業化による賃金の上昇の恩恵が強いと考えられる。

 

現在の状況

 

近年になって共働きという言葉はよく聞くようになったと思う。そう、現在専業主婦の割合は減ってきている。今までの歴史から考えると、専業主婦というのは高度経済成長期にポッと出てきた新しい文化に過ぎず、その文化がさらにバブルによってたまたま長いこと続いただけであり、大きな歴史の流れで見ると異質なものである。つまり賃金の平均が急に上がったためにできたことであり、当然その平均が下がってきたのなら衰退するべき文化である。にもかかわらず、いまだに過去のバブル期を引きずって、日本の伝統的文化などと発言することは愚かなことである。

また、個人的には日本における、武士のころから続く女性差別の問題も、専業主婦が主流になったことで、より問題が深くなったはずだと考えている。人間が生きていくうえで一番必要なものにおいて意図的に男女で差をつけることは、本能的に立場の違いを感じてしまうはずである。そのために、現在専業主婦が差別用語とされていることには納得できる。差別問題とも合わさって、このままこの一時的な風習は衰退していくはずだ。

 

 

まだ20代である私の肌感覚で言うと、この異質な文化も女性軽視も年功序列も、古い時代人の産物であり、多様化を始めた時代に生まれた私たち根本的に馴染みのない文化であると感じる。そんな私たちが日本を代表する世代になったときに、若い世代たちにはどんな言葉をかけられるのか、不安でありながら楽しみである。