愚かな私の卒業記(1)~ミルフィーユ的反省~

皆さんこんにちは。

この日記は、これから大学4年生になるにもかかわらず、あまりにも少ない単位毎年必ず誰かしら落とす鬼畜卒論まだ何も始めていない就活、この三拍子揃った私がこれからどうなっていくのか、客観的にまとめることで頭の中を整理しようという趣旨のものである。

なお、現時点ではまだギリギリ現役卒業が視野のため、最終目標は現役卒業としている。

 

 

 

猛省である。反省に次ぐ反省。大学受験から大学4年生になるまで、幾度となく行われた反省は何層にも重なり、もはや地層を形成しはじめ、歴史を作り、時代の流れとともにより深く刻まれていく。かっこつけたけど、とにかくヤヴァイってこと。ミルフィーユ的反省ってこと。

 

今回は第一回ということなので、なぜこんなヤヴァイことになっているのか、順を追って話していこうと思う。

 

元をたどれば高校にまでさかのぼる。私は文系大学に通っているが、実は高校3年まで物理専攻のゴリゴリの理系だった。もちろん、当時の私自身もこのまま理系の大学に進学するものだと思っていた。

しかし、しかしである。調べれば調べるほどわかる理系大学の地獄っぷり。普通に通えば、ほぼ奴隷。少しイキれば、にじみ出る理系感に苛まされる滑稽な根暗。ならばと捻てみれば、ネットでマウントを取り合い、満足する廃人。完全なる偏見である。

当時の私にはこの八方ふさがりのルートしか見えなかった。間違いなく数年後にはチェック柄のシャツに身を包み、これでもかというほどの缶バッチを付けたリュックを背負い、もはやアイデンティティとして確立した出来立てほやほやの寝癖を揺らし、庭と言わんばかりに都心を肩で風を切って歩いていたであろう。完全なる偏見である。

 

そんな理系への偏見と、校則が以上に厳しい学校というのも相まってか、私はただ自由を求めた。求めすぎたあまり、自由が迷走し始め、現在足を引っ張っているわけだが。自由が不自由を創造するというパラドックスに頭を抱えながらここまで来てしまったのである。

 

そして私は高校3年の9月、ついに文系大学を受けることを決意した。私はこの決断を後悔した日はないが、最初から文系志望しとけばよかったと死ぬほど後悔している。

 

どうせならと、文系にいる親友と同じ大学を目指すことにし猛勉強をしたが、うちの学校からは毎年一人受かるかどうかのところであり、私は落ちてしまった。親友の彼はとんでもなくバカだったが、とんでもない集中力で見事受かった。その集中力はもう同じ人間ではないのかと思うほど、怪物じみたものだった。目的のために効率の良い手段をとれるような人は、本当に頭がいい人だとこのとき身をもって知った。

 

志望校に落ち、理系から逃げるように文系大学に入学した私は、当然目標などはなかった。経済学部だったので経済を学んでやろうとか、最初の頃はまじめにやろうとしていたが、中身の詰まっていない薄っぺらな目標は成し遂げられることはない。何度同じようなことを繰り返すのだろうか。

 

そんな私は自由に溺れ始め、当たり前のように単位を落とし始めていた。最初は入れた単位をどのくらい落とすかという視点で見ていたが、次第に参照点が変化していき、今では入れた単位からどれくらい取れるかと落とすことが前提になっている。恐ろしい…もう単位を落とす恐ろしさを忘れているのが恐ろしい。環境適応力◎過ぎて辛い。

 

そんなこんなでついにゼミ選択の時期が来た。なんとなく厳しいとこにすれば変わるだろと浅はかな考えでゼミを選んだが、日ごろの行いが悪いのか、成績が悪いのか、はたまたそのどちらともなのか、私は無事3次選考まで落ちていった。

そこでいったん冷静になった私は、厳しいところに行ったら文系にした意味がないのではないかと原点回帰して考えた。しかし、そもそも理系から逃げただけであり、文系自体に意味を見いだせていない時点でなんだか何の意味もないような気がする。

意味がなさ過ぎて意味が分からなくなってきた。ん?意味がないなら意味は分からなくていいのか。いやでも意味がないことの意味が分からないわけだから意味がないことに意味はあると仮定してるわけだ。しかし意味がないことに意味があるのならそれはもう意味があることなのではないか。意味という言葉が崩壊して、また再構築して意味を成している。そうか、これが宇宙、これが全であり一であるのか、コスモを感じる。

 

話が逸れたが、私は再び自由のため、楽なゼミに入ろうと決意した。そうは言ったものの、私は3次選考まで落ち、成績も悪く、選べるところが少なくなってしまったわけである。しかし、ここで千載一遇の好機が訪れた。明らかに楽なゼミであろうところがじゃんけんでメンバーを決めるという。じゃんけんで決める時点でもうまじめではない感がすごい。

 

とにかくこの突然来たビックウェーブ、乗りこなすしかない。2グループに分かれてじゃんけんだ。約20名から負けを2人だけ出すという超イージー。確立にして1/10。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結果、

圧倒的敗北。

 

有無を言わせない敗北。最後の2人になるまで負け続け、まるでもとから決まっていたかように敗北へ吸い込まれていった。

私に勝った相手の「なんかごめんね」という同情の言葉、私の行き場のない悲しみと怒り、教室の去り際に感じた20ほどの同情のまなざし。てめえらの顔全員覚えたかんな。どうやら怒りの行き場は見つかったようだ。

 

そんな私の怒りも虚しく、現実は無慈悲に私の前に立ちはだかった。いよいよ選べるゼミがほぼなくなったのである。どうでもよくなった私は、ゼミ紹介の文面からして堅苦しそうなゼミを選んでしまった。いや、ほとんど選ぶしかなかったといえる。

 

ここである。大学生活で最も愚かな選択をしたのは間違いなくここである。ちなみに2番目はサークルに入らなかったことだ。

 

こんなにも愚かな行為だったと反省してしまうようなゼミ。いったいどんなゼミなのかというと、まず毎年のように卒論級の論文をグループで書かせるという鬼畜っぷり。週2、3で22時まで学校に拘束され、提出が近くなると毎日のように集まっていた。もちろん長期休暇時も例外ではない。さらには、新設のゼミであるため、先輩がいないのである。あと女子も少ない。

 

そんな地獄の中でも自由を求めてしまった私は、独走する自由に単位が追いついてきていないことに気付く。3年の秋のことである。 手遅れ感が半端ない。

 

 とても長い時間を無駄にした自由とは一体何なのか、もしかすると自由ではなかったのではないか。もう一度自由について捉え直す必要が大いにあるが、この辺にしておこう。

 

反省すべきは計画性のない目標と考えなしの行動である。21年間で私は幾度となくこの反省を繰り返してきている。失敗は成功の母というけれど、失敗を分析し、理解しなくては次には進めないのである。

 

次回に続く。