桜は酒カスに拍車をかける
「春はバカに拍車をかける」とどこかの漫画では言っていたが、確かに寒い冬を乗り越えて訪れる春は、待ち遠しくてつい陽気になってしまうかもしれない。そんな調子で桜なんか咲いてしまえばもうお分かりだろう。「桜は酒カスに拍車をかける」のである。
私は小学生の頃、少年野球チームに所属していた。私の少年野球チームは、大体所属する子のお父さんがコーチをしてくれていた。そんな感じなので、親同士が仲良くなることは不思議ではなかった。するともう当然のように春になったら花見なんかをしちゃうわけである。子供も同伴するため、私も毎年四月は楽しみだった。
花見というのは改めて考えると不思議である。昔の人は確かに純粋に花を見て楽しんでいたのかもしれない。しかし現代でそれを行なったらどうだろうか。昼間に散歩しながら花見をするならわかるが、夜にブルーシートを敷いて1人桜を見てにやけているのである。不気味だ。不審者とまではいかないが、明らかに不気味である。
そう、我々現代人にとって花見とは名ばかりのものであり、最初の数分こそ感動するが、あとはもうただの飲み会、乱痴気騒ぎだ。そして例に漏れず、我々も現代風花見をしていた。
恐ろしいのは父母たちの飲みっぷりだった。仕事仲間ではなく、何も気にせず飲めるお酒というのは美味しいのだろう。私は普段の姿とはかけ離れた大人の姿に驚愕した。お酒というのは、実はいつもの自分じゃ考えられない事をしてしまうような恐ろしいものではなく、元々ある自分の感情を高めるだけのものであり、それこそが本来の自分の感情であるらしい。みんなただただ楽しみたいだけの人たちなのだ。
普段無口なDくんのお父さんに「おい!楽しんでるかい!」と肩を叩かれた時に、私は小学生ながらになんとなく確信したのである。
お酒こそが平和へのカンフル剤だと。
そして弱冠20歳の春、私は平和を背負いながら、満開の桜の下で明るくなっていく景色と相反するように、意識は暗闇へと落ちていった。背負った平和は砂まみれになっていた。まあ普通に泥酔しました。はい、酒カスですね。
翌日、殴られたような頭痛で目が覚めて、なんとなく確信したのである。
お酒なんかで平和が訪れるはずがないと。
そもそも花見してる時も、そこらへんで奇声だか怒号だか鳴り止まなかったし、ちょっと厳ついにいちゃんに絡まれるの怖いし、花見した後なんてゴミだらけで地域の人絶対迷惑してるだろうし、こんなんで平和が訪れるわけがない。
しかしそれでも花も見ずに花見をしてしまうのは、きっとあの楽しい大人たちを見てきたからだろう。みんながみんな幸せな顔して笑っている思い出は美しいものだ。
コンビニの明かりにヤンキーが集まるように、桜の下にはどうしても酒カスが集まってしまうだろう。それでも私は桜が舞い散る中でのあの狂乱が好きだし、桜に一番合うのはお酒だと思うので、やはり花見は最高だ。
ただどう考えてもお酒で平和は訪れないなあと思いながら、私は相棒のPeaceを吸うのである。