すね毛が、単に脛から毛が生えているという認識に収まらなくなってきている。

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皆さんこんにちは。最近は、原付で横抜けをしていたら隣の車のミラーに原付のミラーが掠ってしまい、そのまま少し頭を下げて去ろうとしたところを呼び止められて、久々に悪いことをして本気で怒られた私です。

いやほんとドキッとした。恋とかじゃなくて。高校生の時ぶりに、悪いことして怒られる前に起きる脳への電気信号が断たれたような気分の急降下、非がありすぎて緊張でこれでもかというほど委縮する心臓、そして謝罪に備えて丸まっていく背中、あの感じを味わった。「てめえ、ヤー公だったら何されてるかわからねえぞ卍」ていわれた。すでにその人ヤー公だったわ卍

 

 

男性諸君、すね毛は好きだろうか。おそらく多くの人が、特に興味がないというだろう。私もそうだった。しかし、つい去年のことだ、私の脳内ですね毛についての認識を改める動きがあった。

昔の私はすね毛を見て、

 

「おっ、生えてンネ~」

 

と、だいぶ寛容的だった。

しかし、今の私ときたらすね毛を見て、

 

「うわ、なんで存在してんの」

 

と完全なる拒絶を示している。

なんでこんなことになってしまったのだろうか。きっと時代の影響が強いように思う。最近は色白の男性や清潔感のある男性(昔からあると思うがより求められているように感じている)がもてはやされているからだろう。無意識のうちに、この時代の流れに飲み込まれていた。もう昔のように、友達感覚ですね毛を見ることは叶わないだろう。一方的に敵対してしまっている。

 

しかし考えてみてほしい。私は今まですね毛フェチの人に出会ったことがない。多分これからも。すね毛を嫌いに思っても好きになる人なんていないだろう。「あ~、このもじゃもじゃ感、たまんない~♪」なんて言う人が果たして存在するだろうか。そんなの宇宙すぎる。

認識がどうでもいいから下しかない存在なのだ。もういらないだろ。だって何のためについてんの、これ。このもじゃもじゃで埃でも絡めて取るんですか。なんなんですか、一体。

いや、なんとなく男としてすね毛の存在をここまで気にするのってなんか恥ずかしくてね…。多分この気持ちを分かる人は結構いるはず。

 

 

 

そんな感じで誰に言い訳をするわけでもなく、なんとなく恥ずかしがりながらすね毛を脱毛しました。

ええ、脱毛、しました。

ブラジリアンワックスをアマゾンで買ってね、自分の部屋で抜きまくったんすよ。ええ。

 

 

つるつるだよりゃああ!!!!

 

 

久しぶり!!つるつるの脛!!長い間寂しい思いをさせたな。あの化物は俺が全部ぶっ倒してきたぜい!!

 

まるで生まれ変わったような気分だった。もうズボン履くときとか地肌に当たりすぎてすごい。履いてる間もなんか落ち着かない。まるでノーパンで過ごしてるみたいな。

まあノーパンしたことあるのが間接的にばれたが、思った以上に脱毛はよかった。なんか新しい感覚だし、なんか無駄に足きれいだったし。目障りなあいつもいないことだし、こりゃ気分良く過ごせそうだぜ。

 

 

 

 

 

数日後、

「What the f○ck!!!???」

 

また姿を現しやがった、あの化物が、、、。そりゃねえだろ、織姫と彦星かよ。

 

あれだけむしってやったのにまだ生えてくる。もはや雑草とよんでも許される域だ。

だからお前はほんとに必要なのか?いや、これだけ根気よく生えてくるからには必要なはずだ。現状何にも役立ってないけど。毛は大事なところを守るためだとか、寒さを凌ぐためだとかいろいろ役割を聞くけど、すね毛にはどうもこれといった役割を見つけられない。弁慶の泣き所を守ってくれるとかだったらブチギレてしまうかもしれない。こんな薄い毛でどうにかなる相手ではない。こと現代においては本当に役割のない存在なのかもしれない。しかし、意味のない存在がこんなに根性を見せるはずがない。そうなr…。

 

こんな堂々巡りをしているうちに季節は回って、すね毛も完全体に戻り、私はいつの間にかすね毛の存在をどうでもよく思い始めてきた。もしかしたらみんなこういった経験を経て、すね毛という存在の認識を更新していっているのかもしれない。そんなことはない。